その先にあるものは?

しばしばしばしばしばたじゅん!

お花見に行きました。

なんか恋がしたくなってきました。

みなさん。こんにちは。ひつじいぬくんです。

さて時間があるかと思えば以外となかったひつじいぬくんです。

しかし今日書かなければ書かなくなるので書きます。

柴田淳論。

あえて言おう!

僕は柴田淳が大好きだ。

文句なく大好きだ。

僕が柴田淳を知ったのはあまりにも偶然だった。

たまたまCDショップで

珍しく邦楽を見ていて

たまたま「し」の段で目が止まって

たまたま手にとったアルバムが「オールトの雲」で

それをたまたま

何を思ったか買ったのが始まりだった。

衝撃だった。

その衝撃から好き好き言いつづけて

彼女のアルバムもはや4枚目だ。

あえて言おう!

どこへ行くんだ柴田淳

僕が好きな柴田淳は死んでしまったのか?

なにがだ?

どうしたっていうんだ?

この柴田淳をどう受け止めろと言うんだ?

理解はしているつもりだ。

アルバムを4枚も出すのはすごいことであるし

知名度も上がり売れるものを作らなければならない

というプレッシャーが少なからずあるだろう

ということもありえるのだろう。

だがしかし、なんなんだこのアルバムは!

1枚なら目をつぶろう。

2枚目もまだ希望をもとう。

だが3枚続ければそれは疑問を持たなければならない。

わかる。

わかる。

癒し系と言われ

どこに向けて売ろうとしているという

戦略も見える。

だが

あえて言おう!

それでいいのか?柴田淳

彼女は3枚続けてバラード系の等身大の女性の気持ちを歌うのが

彼女の魅力か?

否!

否!

否!

彼女がファースト見せた

そう、僕が衝撃を受けた柴田淳

圧倒的なポップで、どこかストーリーがありながら

身近な気持ちを、圧倒的なメロディラインで

そして彼女に神だ天から与えた

ソフトで甘い声で

彼女自身の歌う楽しさがあふれ出ている

そして名曲

「それでも来た道」

で真直ぐなまでも信念と彼女の決意を示した。

ポップでありセンチメンタルであり、そして女性特有の甘さをもった

素晴らしいアルバムであった。

今でもこのアルバムは大好きだし

友達にオススメしてきて

「凄いいいよ。」

って喜んでもらえるアルバムだ。

だがどうだ!

彼女のそれ意向のアルバムは!

オールトの雲

はファースト特有の奇跡だったのか!

そんなことはないはずだ!

僕はまだ柴田淳を信じている!

彼女が今一度ポップに立ち返り

もう一度楽しさを取り戻すことを信じてやまない。

確かに

ミュージシャンである以上

1度売れた形を安泰とせず

新たな形を求めることはうれしいことだ。

今の邦楽のように

売れたらもう売れた方向へ突き進む

それを盛りたてつづけている曲が

売れていて

その下でしっかりと自分たちの音楽を作っている人たちが

表にでてこないという

まったくもってファックな状態なんか大嫌いだ。

今の柴田淳はどうだ?

安泰してないか?

自分の良さを出し切れているのか?

ポップであることを否定していないか?

楽しい音楽ができているのか?

彼女には切なさやセンチメンタルさも

ポップとその歌声で

吹き飛ばすくらいのパワーがあるはずなのに。

そう多くの人を

幸せにするくらい素晴らしい音楽ができるはずなのに。

わかってるんです。

今言ってきたことは

僕の個人的感想であり

彼女の曲が多くの人に浸透してきて

売れるようになっているのも事実である。

もしかしたら多くの人にとっては

今の彼女の曲のほうが

僕の好きな柴田淳より受け入れられるのかもしれない。

だが

僕はポップな柴田淳であって欲しい。

ポップは何物にも負けないステキな音楽なのだから。

僕は柴田淳が大好きである。

彼女がステキな曲を作って

いつまでも僕らのお姫様でいてくれることを

心から祈ってやまない。

THE LADY WHO WOULD BE QUEEN

あなたがその座につくならば

私は喜んでその足元に跪こう。

そして私を導いてくれ。素晴らしきポップの世界に。