今年もお疲れさまでございます。

おそらく今年最後の日記。

てなわけで、明日は帰郷予定なので

今年最後の日記となりそうです。

実家にはネット環境がないもので。

それにしても

今年は本当に酷かった。

年の初めから

もうボロボロで

4月には死にそうで

そのままの勢いで

年末まで走ってきたというか

転がり落ちてきたという感じです。

あぁ〜、本当に真面目に聴かないとダメだダメだと

言っていたら

1年が過ぎてしまったというか

そんな感じです。

非常に申し訳なく思うばかりです。

できれば、もっと音楽について語りたいのですが

あぁ、そういえば最近はギャオがマックでも

見れるということで

岡田のギャオジョッキーを最初から見ているとか

もう、僕もオタキング並みの音楽話が出来れば

いいのに!

とか思ったり、思わなかったりです。

てか、今年のダメだった点は

新譜に興味を失ったというのが

一番大きいとこだと思います。

てか、新譜というと語弊があるので

あれです。

新人に興味がないというとこが

一番ダメでした。

こうなってしまうと

もう懐古、懐古で先に進まないというか

今まで聴けなかったのを反省するしかないとか

もうそんな感じです。

できれば、きちんと聴けて、書ければいいのに

精神的なボロボロさ加減から

全然聴けない、書けないという

もう音楽好きにはあるまじき1年でした。

その代わり本を久しぶりにたくさん読んでいるというか

好きな本を延々と読み返すという

数年に1度くるようなパターンで

過ごしてしまいました。

はっきりしたのは、矢作とエルロイが好きだということに

確信を持てた(笑)

てか、あれです。

読み返すという行為をすることで

初めて読んだときと、読み返すまでの間に

いろいろ読んできたものが

経験として生かされ

読み返すと面白いということに気づいてしまったのが大きいです。

例えば、今はあ・じゃ・ぱんを読んでいるのですけど

この序盤の酒場のシーンなんて

まんまチャンドラーのさらばだし

大鹿マロイじゃねぇ〜かよ!

と気づけるようになったことで

面白さが100倍増し!

みたいなことが

今年読書にハマった大きな原因かと。

そうすると、ここでまたチャンドラーが読みたくなり

とこのループ。

そして、その興奮状態のままエルロイに突っ込むという

もはや無限ループですよ!

で、たまにちょっと真面目にというとこで

ガルシア・マルケスに走ったりと

もう、読書面白い!

なんて状態です。

そうすると、脳内での興奮から

視覚的な興奮を求めるようになり

現在は映画が観たい症状が出てきているなど

当分、ダメな日々が続きそうです。

じゃぁ、音楽はどうするんだと言われれば

最近はどれを聴いてもテンションが上がらないというか

今年は若干テクノ方面に走りすぎたおかげで

結局はテクノに失望するという

過去の過ちを繰り返すかのごとく

じゃぁ、ロックに戻れるかというと

最近のロックには閉塞感しか漂ってないというか

あぁ、これは僕の中だけかもしれないんですけど。

要するに何でもありだった時代から

売れるものへの時代に流れてきてしまっている気がしてならないんですよ。

どうしても2000年当時の

リヴァイヴァルから僕が抜け出せてない。

閉塞感を抜け出した先には

自由が広がるように見えたのに

自由を選ばず、またそこに大きな壁を作り始めたというか

壁を抜けようともがいているのではなく

壁の周りに壁を作っているというか

まぁ、簡単に言えば面白くないってことですよ。

何か,今日は書ける気がするので

がんがん行きます。

要するに踊れるロック批判なんですよ。

もうね、ギタポとか言い出した時点でヤバいと思ったんですよ。

ロックが復活したと思えたときのロックは

踊れるではなく踊ってしまうだったと思うんですよ。

無意識に身体が動いてしまう。

それは、それだけその音楽が

僕らの心のどこかを掴むわけじゃないですか。

でも今の売れるというか

踊れるロックっていうのは

どうです?これって踊れるでしょ?

みたいな、押し付けがましさ以外の何ものでもないでしょ。

ロックってのは

押し付けられるものじゃなくて

そこからの脱却でしょ?

その閉塞感をぶち破るのがロックなわけで

その音に心がときめくわけじゃないですか。

それをわざわざ作り手側が

行き止まり作って

さぁ、この中でわいわいやってくださいなんて

バカみたいじゃないですか。

そこに何があるんだよって。

それを聴いて育ってしまう人が可哀想だよ。

音楽はもっと自由になるべきなんです。

別に4人とか3人じゃなくても

大所帯でも全然構わない。

音がポップであろうが、クラシックであろうが関係ない。

要は作り手側の

その先が見たいという気持ち次第でしょ。

既存のフォーマットを壊してでも

俺たちはこういうのがやりたい。

唯一無二の存在でありたいと思うような

そんな音楽が聴きたいんです。

別にそこにビートルズだろうが、ストーンズだろうが

影響が見えてもいいんです。

ただ、その次を目指していく気持ちがあればいいんです。

そうしないと、結局また売れなくなるから。

供給過多になっちゃってるんじゃないの?

どれを聴いても代わり映えがしない。

そんなの全然楽しくないじゃない。

ロックが好きでクラブミュージックも好きだから

こんな音楽になっちゃいました。

・・・でなに?

だからなんだよって。

で、それが売れなくなったら

また別の売れ線方向に進むから

また別のバンドが出てくるか。

そこまで言うなら

それを金太郎飴よろしくラモーンズくらい貫けと。

別にロックもクラブミュージックも好きで構わない。

僕も好きだ。

そこから何を作り出すかが大切だろ。

そこで何を作り出したいかが大切だろ。

じゃぁ、本当にその作品がこの先燦然と輝くような

作品なのかと

それだけの自信を持って出してるのかと。

80点の作品なんていらないんですよ。

例え結果30点になろうが

100点の気持ちで出せ!

それが作り手側の心意気ってやつだろ。

そして、一生100点と言い続けろ。

このアルバムは最高だよ。

これ以上の作品は他にないよ、くらい言え。

前のアルバムと比べてどう?と言われたら

ベクトルが違うから比べようにないけど

どちらも100点以外ない!

ぐらい言え。

これを超えるものはないくらい言え。

80点の音楽ですって言われて聴く気になるか!

ここまで書いてあれですけど

キラーズを誉めてたあの気持ちを思いだした。

ホットからサムズへの遍歴を見てみろと。

あれこそ音楽作ってる側の心意気だろ!と。

やりたいこと貫き通せと。

例え世界中がダメと言えど、僕は認めよう。

たった1人のためだけになってでも

自分たちのやりたいようにやり抜け。

評価なんて、その時点ではあってないようなものだからさ。

100年後には奇跡の名盤なんて

言われるかもしれないじゃないか。

と、どこまで書いても

もう1人の自分が

それでも売れることが大切なんだよと

嫌に冷静なところもあるわけで。

商売でやってるところが流通やってるんだから

そりゃぁ、売れなきゃダメなんだと。

そこに関わる人がいる限り売れなきゃダメなんだって。

バックアップ体制が

いや、なんていうか

そこまで腹くくれる人たちが存在してこそ

そういうのが出来るわけで。

それは、まぁ、僕も曲がりなりにも社会人なわけだから

痛いくらいわかります。

だからこそ、やって欲しいわけで。

来年は2010年。

2000年から10年たったわけです。

もう一度、あの時のように

そしてあの時以上に

新しい、僕らの心を鷲掴みにするような

そんな作品が世の中で日の目を当たってくれるようなことが

起きることを

願ってなりません。

それでは、今年はここくらいで。

最後までダラダラで申し訳ない。

みなさんの今年がステキなもので

来年はもっとステキな1年であることを

願っています。

ばにゃにゃん!